2013. 06. 29  


名前が巻き起こした珍騒動といえば、ハワイで親しくしていた日本女性の名にまつわるエピソードがあります。彼女の名は彩子(さいこ)さん。

困ったことには、英語で「サイコ」は「精神異常」という意味ですから、「アイム サイコ 私は精神異常です」と自己紹介しようものなら、それまでニコニコしていたアメリカ人が一様にギョッとしたり、怪訝な表情を浮かべるのです。友人のピートなど、「テーレボゥ(怖っ!)」などと大げさに言うものですから、思わず目の前のミックス・ナッツを鷲づかみにして、ピート目がけて投げつけましたが、彩子さんは、「もう慣れっこだから大丈夫よ」と気遣ってくれるのでした。

漢字で「彩子」は美しい字だと思いますが、アメリカでは「精神異常」になってしまうわけです。名づけられたご両親も、そこまでは考えておられなかったのでしょう。ところがある日、彩子さんが「れいらんさん、私、英語ネームを持とうと思うんだけど、何がいい?」というので、「ベラ!」と即答しますと、「妖怪人間みたい・・・」と、彼女はちょっぴり不満そうにつぶやくのでした。

彼女の姓を母音に直しますと、「う・い・お」です。ここに「ベラ」という「え・あ」という母音の名前が入りますと、姓名に「あいうえお」という五つの母音が揃って、発音してみるとスッキリして納まりがいいのです。

たまたま、その前日、友人から預かっていたキャバリアの仔犬を自宅前で遊ばせていたら、小沢征爾夫妻が通りかかって「カワイイ」と足を止められたのですが、往年のトップ・モデルだった入江美樹さん(小沢夫人)は美しく年輪を重ねておられました。彼女の本名こそ「ベラ」であり、そうした諸々を彩子さんに告げますと、「ベラに決めるわ!」と納得されたのですが、のちに彼女のお父さまは、「魚にも同じ名前があるぞ」と、のたまわれたそうです。

日本では、昭和初期に新聞記者だった熊崎健翁(くまざきけんおう)が画数による姓名判断を考案して世に問うのですが、これは大流行し、現在に至る姓名判断の礎となったのです。熊崎さんは五つの母音が揃った名前を重視してはいないのですが、なぜか「くまざきけんおう」という名前は「あいうえお」が全て揃った名前です。

画数による姓名判断に関しては賛否両論あります。私自身、この30年ほど周囲の人々やお客さまのお名前を熊崎式で検証した結果、画数と運勢は関係ないというのが私が下した結論です。よく名前を変えてから運勢が良くなったという人がいますが、それは偶然に運勢が上昇期に入ったからです。

ただ、どうしても画数が気になる方は、ゲンをかつぐ程度のお気持ちでなさると良でしょう。それよりも、赤ちゃんにお名前をつけられるときは、母音が五つ揃った名前をつけてあげる方が得策です。

親友のふふ子さんとままひこさんご夫妻が家族ぐるみで親しくしているご一家に、昨年、待望の初孫が誕生しました。長女の方が嫁がれ、可愛い女の子が産まれたのです。ところが丁度その頃、嫁ぎ先のお舅さんは末期がんで入院されていました。そこで若夫婦は産まれた子の命名を、病床にあったお父さまにお願いしたのです。

そのお名前が「郁乃」ちゃんというのですが、名字と合わせると見事に母音が五つ揃っているのです。しかも、郁乃ちゃんの生年月日は十二支が三つ並んでいて、この子は生まれながらにして強運の持ち主。進学・就職・結婚といった人生の節目がスムーズにいく子です。残念ながら、おじいちゃんは郁乃ちゃんを抱くことなく昇天されましたが、初孫にすばらしい名を残していかれました。

安倍晋三という名も母音が五つ揃った名前です。安倍家か岸家の周辺に、五つの母音を揃えることを知っていた僧侶か神主、あるいは易者がいたのではないかと思います。そうでなければ、次男坊に「晋三」という名前はつけません。


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2013. 06. 26  


このところ、夏休みのご旅行の方位について相談を受けることが多くなりましたので、8月年月同盤(年盤五黄・月盤五黄)について解説いたします。

方位の見方にもさまざまな流派があります。多くの流派は転居や旅行に「年月同盤」を積極的に取るよう推奨しますが、私はこのブログで「年月同盤」の方位作用は強すぎるので取ってはいけないと常々申してきました。

例えるなら、高血圧のお薬も適量ならばちょうどいい具合に血圧を下げてくれますが、量が多すぎると倒れることもあります。「年月同盤」の方位は、このお薬の量が多すぎるような状態ですから、運命が振り回されてしまうのです。

実際に年月同盤で転居されたり、旅行されたご経験のある方は、このブログの読者のみなさまには多数おられます。鑑定の際にそのような体験談をたくさん伺っています。

どなたも一様に、「良かれと思って年月同盤で転居したのですが、運勢が好転するどころか、良くないことが続いています」、「年月同盤で海外旅行しましたが、ちっとも楽しい気分になれず、早く帰りたいとばかり思っていました」とか「九紫の年月同盤で旅行して三ヵ月後に会社を辞めてしまいました」とおっしゃった方もおられました。

年月同盤には二種類あります。

 1、十二支の年月同盤。今年ですと、5月が巳の年の巳の月でした。

 2、もう一つは、九星の年月同盤です。今年の8月が五黄の年の五黄の月となります。

これが十二支も九星もダブルで年月同盤になるときがあり、来年の6月は年盤「午の四緑」、月盤「午の四緑」となりますので、ここはどなたも転居や旅行は避けていただきたいと思います。強すぎます。

もっと凄かったのは以前にも書きましたが、2011年3月の大震災のあったときで、十干(甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)までが揃っていました。あのときは「辛卯七赤」の年月同盤だったのです。これは360年に一度の組合せとなります。あのとき多数の方々が家を失い、心ならずも転居を余儀なくされました。被災者のために一日も早い復興が望まれるのですが、遅々として進まない遠因のひとつには、年月同盤での転居による方災ということも考えられます。

そして、今年の8月、五黄の年月同盤が恐ろしいのは、方位の作用が強すぎることに加えて、すべての方位に「暗剣殺」の作用が出てくるからです。つまり、八方位が大凶であり、暗剣殺の作用は極めて恐ろしいのです。しかも方災の出方は遅く、それだけにドカンと大きく出てまいります。世の方位論者が、五黄の年月同盤の恐ろしさに気づかないのは、方災の出方が遅いせいもあるのでしょう。

私自身は、1986年の西北方位、1995年の東方位で海外旅行の実験をしておりますが、いずれもこのときの方災で一年後に入院しています。1986年の西北は六白ですから左肺、1995年の東は三碧ですから肝機能です。きちんと出るんですね。他にも、さまざまな悪い現象が出てきました。ゆえに、方位を取って一年後の1987年と1996年は実験結果の方災で、悪夢のごとき忘れられない年となりました。バカですよねぇ。でも、理論ばかりではダメなんですね。こうしたことは実際に試して、自分で検証していかないことには世に問えないのです。

ところが世の中には特殊な運命の持ち主がいます。例えば、私の弟がそうした運命の持ち主なのですが、彼は年盤「寅の二黒」、月盤「寅の二黒」という生まれです。この弟が、今年の8月に西方位へ旅行したら、来年には思いがけないお金が入ってくるはずです。されど、こうした特殊な運命の持ち主は非常に少ないので、なるべくなら今年の8月はじっとしていましょう。自分のためです。

8月(8/7~9/6)

 
2013. 06. 26  


パソコンの不調により、スケジュールのアップが遅れまして申し訳ございませんでした。

実は二週間以上も前のこと、ある日突然、まるで寝違えたように首と肩が痛くなりました。首を動かすと激痛が走り、腕が上げられないものですからパソコンを打つのもひと苦労。いちばん辛いのは洗髪と洗濯物を干す作業でした。これはもう自然治癒は無理と判断し、方位をみて鍼灸医のもとに駆け込みました。すぐ近所ですから、日盤を重視します。(もちろん、年盤・月盤の五黄殺や暗剣殺、歳破、月破は避けるのですが)

やっぱり良い方位の先生に診てもらいますと、判断が的確なのです。先生はひと言「そもそもの原因は腰。ここを治さないと、対症療法的に首と肩の痛みをとっても、すぐ元に戻ります。腰を徹底して治しましょう」ということで、徹底して治療してもらいましたが、腰が良くなると不思議なことに首が動くのですね。

ここで方位の実験を一つしてみました。日盤の悪い方位(七赤暗剣殺)で別な鍼灸医にも行ってみたのです。最初に診ていただいた先生で十分満足しているのですが、根が実験くんなものですから、試してみたくなるのですね。その先生は「どうしたんでしょうねぇ」とおっしゃり、首と肩をぐいぐい押して、かえって痛みが増してしまったのです。やはり悪い方位だとダメですね。実験とはいえ、行くべきではなかったかも。

治療(病院や歯科医院も含みます)あるいは美容院などもそうなんですが、日盤の良いときに行きますと満足が得られます。旅行も年月盤だけではなく、出発日の方位も大事です。

この二週間、ブログのアップは出来ませんでしたが鑑定は続けておりました。鑑定の直前は、「いたたたた」とうめきながら事前準備をしているのですが、お客さまからお電話を頂戴すると、脳から一挙にアドレナリンが噴出するらしく、首の痛みを全く忘れてしまうのです。東京ドームでコンサートされたときの美空ひばりも、こんな感じだったのかしらと思いました。

ということで、元気になりましたのでブログを復活いたします。



鑑定を申し込まれる方は、事前にメールにてご希望の日時をご一報ください。
なるべく早くこちらから返信メールをお送りいたします。

二度目以降のお客さまで、お急ぎの場合は当日お申込みになられてもかまいません。

必ずしもご希望の時間をお取りすることが出来ない場合もありますので、
「何時~何時までなら可能です」とメールいただければ助かります。
お急ぎの場合は、鑑定料は後払いでもかまいませんので。

はじめての方は、カテゴリ「鑑定の申込み方法」をご参照ください。

「鑑定の申込み方法」



6月27日(木)  午前10時~午後4時  午後8時~午前0時   

6月28日(金)  午前10時~午後4時  午後8時~午前0時 

6月29日(土)  午前10時~午後2時

6月30日(日)                 午後6時~午前0時   

7月01日(月)  午前10時~午後2時  午後8時~午前0時     

7月02日(火)  午前10時~午後4時  午後8時~午前0時

7月03日(水)  午前10時~午後4時  午後8時~午前0時

7月04日(木)  午前10時~午後4時  午後8時~午前0時

7月05日(金)  午前10時~午後4時  午後8時~午前0時

7月06日(土)  地方出張鑑定

7月07日(日)  地方出張鑑定

7月08日(月)                午後8時~午前0時


7月6日、7日と茨城県東海村へ参ります。
ご予約がかなり一杯になっておりますが、お近くのお客さまで対面鑑定を希望される方は、
メールにてお申込みくださいませ。ただし、過去に電話鑑定を受けた方に限らせていただきます。



2013. 06. 15  


連絡です。

鑑定のご依頼を頂戴している吉田さま、メールをお送りしていますが戻って来てしまいます。
パソコンのメールアドレスをお持ちでしたら、お知らせいただければ幸いです。


鑑定を申し込まれる方は、事前にメールにてご希望の日時をご一報ください。
なるべく早くこちらから返信メールをお送りいたします。

二度目以降のお客さまで、お急ぎの場合は当日お申込みになられてもかまいません。

必ずしもご希望の時間をお取りすることが出来ない場合もありますので、
「何時~何時までなら可能です」とメールいただければ助かります。
お急ぎの場合は、鑑定料は後払いでもかまいませんので。

はじめての方は、カテゴリ「鑑定の申込み方法」をご参照ください。

「鑑定の申込み方法」



6月17日(月)                午後8時~午前0時   

6月18日(火)  午前10時~午後4時  午後8時~午前0時 

6月19日(水)  午前10時~午後4時  午後8時~午前0時

6月20日(木)                 午後8時~午前0時    

6月21日(金)  午前10時~午後4時  午後8時~午前0時     

6月22日(土)  午前10時~午後4時  午後7時~午後0時

6月23日(日)        午後1時~午前0時


2013. 06. 10  


11日(火)の昼の部は予約で一杯になってしまいましたが、それ以降は空いています。

鑑定を申し込まれる方は、事前にメールにてご希望の日時をご一報ください。
なるべく早くこちらから返信メールをお送りいたします。

二度目以降のお客さまで、お急ぎの場合は当日お申込みになられてもかまいません。

必ずしもご希望の時間をお取りすることが出来ない場合もありますので、
「何時~何時までなら可能です」とメールいただければ助かります。
お急ぎの場合は、鑑定料は後払いでもかまいませんので。

はじめての方は、カテゴリ「鑑定の申込み方法」をご参照ください。

「鑑定の申込み方法」



6月11日(火)                午後8時~午前0時   

6月12日(水)  午前10時~午後4時  午後8時~午前0時 

6月13日(木)  午前10時~午後4時  午後8時~午前0時

6月14日(金)  午前10時~午後4時  午後8時~午前0時    

6月15日(土)  午前10時~午後4時  午後8時~午前0時     

6月16日(日)  午前の部を休みます  午後1時~午後10時



2013. 06. 07  


長きにわたりご無沙汰してしまいました。

この間、多くの方々から励ましのメールやお電話を頂戴しましたが、電話に出ることもメールの返信もままならないような状況が続いておりました。連絡不行き届き、長期の休業に関しまして、衷心よりお詫び申し上げます。

鑑定につきましては別途スケジュール一覧をアップいたしますが、6月10日(月)から再開いたします。すぐにでも再開したいのはやまやまですが、実は帰省する前日に私自身が転居をしており、梱包をといて荷物整理をせねばなりません。そのようなわけで、もう少しお待ちくださいませ。

さて、母の病状と、治療を進めていく上での家族のさまざまな選択に関して、今後、みなさまのご参考になることもあるかと存じますので、書き進めてみたいと思います。母のプライバシーをブログ上で曝すことへのためらいが全く無いわけではありませんが、年老いた親を如何にして看取るかという問題は、老親を抱える方々にとっては等しく頭の痛い課題です。この記事が、少しでもみなさまのご参考になれば幸いです。長文になることをお許しください。

私の母は昭和7年2月生まれ。81歳になります。エリザベス・テイラーと誕生日が近いのですが、生まれた日が違うのでリズのような激しさもなければ後家相でもなく、平凡な昭和のお母さんとして生きて来ました。一年前までは非常に元気で、60代後半に老人性の喘息に若干苦しめられた以外にはこれといった病気もなく健康そのものでした。

しかし、母の健康に暗雲がたちこめはじめたのは80歳になってからです。「れいらん式」で観ましても、母の80代前半は赤信号が点滅しているのです。80歳から84歳までの5年間に何かが起こるだろうと予測していましたので、大腸ガンと聞いたときは、とうとう来たなと冷静に受けとめることができました。

母の場合は出血がひどくて貧血状態であり、また腸閉塞寸前であったので、4月12日に入院し25日には開腹手術が行われました。その間、母には絶食の措置が取られており、病室に配膳の香ばしいお醤油の匂いなどしてくると、食べさせてもらえない母がかわいそうで、「手術したら、また食べられるようになるからね」と慰めますと、母は「納豆ごはんが食べたい」と、少女のようにはにかむのでした。

手術の前日には、「手術したら、そのまま死んでしまうかも・・・」と、不安な胸のうちをポツリ洩らしたりしましたが、当日は私たち家族に手を振って、手術室の奥へと消えていきました。手術は4時間程度と聞いていましたが、思いのほか早く2時間で看護師さんに呼ばれたとき、とっさに、これは手が付けられないほど進んでいたに違いないと思いました。

案の定、外科医の説明は、十二指腸やリンパ節への転移があり、他臓器への転移は認められないのでstageⅢであること。ただ、ガンが思いのほか進んでおり、これを手術によって除去するとなると81歳の母の体力が持たないので、ガンにより閉塞した腸はそのままにして、食事が出来るように小腸のバイパス手術のみしたということでした。

若い執刀医は申し訳なさそうな顔をしていましたが、私は内心、これは母にとってラッキーなことだと考えました。私は事前に、大腸ガンに関してさまざまな文献を読みあさり、親友ままひこさんのアドバイス等(彼は開業前は数々の大腸ガンを執刀したベテラン外科医ゆえ)かなりの知識は蓄えていました。ラッキーの理由を列挙してみます。

 ① 執刀医の説明によれば、母のガンは筋層に進入した大腸ガンでありながら、幸いにも他臓器に転移は認められていないわけです。ままひこさんのアドバイスによれば、もし母の大腸ガンがタチの悪いものなら、腸閉塞寸前まで進行していたらすでに他臓器にも転移しているのが普通。ところが、臓器転移がないということは、母のガンはタチの良いガン(近藤誠先生流に言うならば”がんもどき”)であるということ。

 ② 今回の手術では大腸ガン自体には全く手がつけられませんでした。これが最大のラッキーな出来事だったと思います。もし、ガンに対して手術が行われていたならば、必然的に腹膜を切り開くことになるので、傷口にガン細胞が入り込み、爆発的に増殖した結果、腹膜転移が正常な腸管を巻き込んで腸閉塞を起こし、母は苦しめられ、寿命を縮めることになったでしょう。良い方位の病院で手術すると、土用中であっても物事は良い方向へ流れるということです。しかし予後が思いのほか大変だったのは土用中の手術のせいであったろうと思います。

 ③ バイパスを通してもらったことにより、腸閉塞を気にせず食事が取れるようになったこと。81歳の母にとって、もはや人生に楽しみごとは少なくなり、三度の食事と孫たちの進学や就職が何よりの喜びです。本人が食べたいものを、好きなだけ食べさせてやりたい、それが家族の願いでもあります。

そして術後の説明で、驚くことに執刀医は今後の治療に化学療法も視野に入れていきましょう、と言いました。これが一般的な外科医の方針であることは数々の文献で知っていましたが、81歳の高齢者にも抗ガン剤治療を施そうとするのは外科医の信念なのか、あるいは病院の経営問題なのか、全く腑に落ちませんでした。

手術で悪いところは全部取りましたが念のために化学療法を、という理由ならばわからないでもありませんが、開腹してもメスを入れることすら出来なかった末期ガンの患者に抗ガン剤を投与したら、縮命の害しかないでしょう。

私はきっぱりと化学療法を拒否しました。母を抗ガン剤治療で殺されてなるものか、母を守らなければ、その一念を私は最後まで貫き通しました。結局、最後は執刀医も折れ、緩和ケアの専門病院(ホスピス)へ紹介状を書いてくれました。

母の余命は6ヶ月と言われていますが、私はもっと生きると予測しています。ただ、母の運勢を観る限りでは、来年には命を持っていかれるのでしょう。よほどの奇跡が起こらない限り・・・。

つらいことですが、親との別れはいつの日かやってくることです。それまで涙などこぼしているヒマはないのですね。目の前にいる、病む母を看病するのが子の役目であり、看取るその日まで子は気丈でいなければなりません。泣くのは葬式が終わってからです。

母の場合、最後はホスピスで看取ることになるのでしょうが、それまでは自宅で家族に囲まれて、本人の好きなように過ごさせてやりたいと思いました。

そのためには、私が実家にいる間に介護保険の再申請をし、現状で要支援1の母を、要介護1か2までもっていかなければ、訪問看護やヘルパーさんに入浴の介助をお願いしたり、家の中に手すりを付けてもらうなど、介護態勢を整えることが出来ません。役所がからむことですから、向こうのペースでやられたら何ヶ月もかかってしまいます。担当者全員のお尻を叩きに叩いて、事前に主治医へ根回しもし、3週間ですべての体制作りを成し遂げました。かなり強引でしたが、我ながら良くやったと思います。

同時に私は、退院させる際の病院と自宅の方位についても考えていました。5月4日までに退院させられれば方位としてはセーフなのですが、5月5日以降は自宅が暗剣殺の方位になり、しかも年月同盤ですから、母にとっては一つも良いことがありません。これはネゴシエーションしかないと踏んで交渉したところ、医師はあっさりと5月4日の退院を許可しました。術後9日目ですので母は不安そうでしたが、アメリカではガンの手術をしても2~3日で退院させられ、それが問題ないことを間近に見て来ましたので、何とかなると考えていました。

ただ、術後の母は筋力が衰えてしまい、自力で寝起きが出来なくなってしまいました。食事やトイレのときには、私が起こさなくてはなりません。また、バイパスを通したせいなのか、あるいは大腸ガンがそうさせるのか、下痢が続き排便のコントロールが思うようにいかないのです。加えて発熱が続き、熱が出ると母は腰が立たなくなって、歩けなくなってしまうのです。

そうした母の介護は24時間体制であり、便の後始末との闘いでもありました。粗相してすまなそうにしている母を見ますと、老いのせつなさが込み上げてきます。「気にしないでね。病気だからこれは仕方ないことなのよ」と何度も慰めました。しかし、こちらの指示になかなか従わない頑固な母に対して、時には声を荒げることもあり、叱ったことをあとから後悔するのですが、実の親子とは良くしたものでお互いに悪感情が残らないから不思議です。

そうして介護に苦闘するうちに5月はまたたく間に過ぎ、母の体調次第では仕事を再開出来ないのではないかと気をもんでいたのですが、5月下旬から母の病状は奇跡的に回復しはじめました。少しずつ筋力がついて、幸いなことには自力で寝起きが出来るようになりました。

ガンの痛みは全くないのですが、だるさはどうしようもないようで、終日パジャマで過ごしているので、「パジャ子」と呼んでいます。朝食の後ゆっくりと新聞を読むと、パジャ子の母は居間の長椅子に横たわって、静かに目を瞑っています。

母には余命のことは全く話していません。術後、私たち家族は母に本当のことを告げるのは酷なので、全員が口裏を合わせることにしました。自身がおなかの上からさわっても、こぶのような固いものが残っていることは気がつくだろうから、「悪いところは取ったけれど、全部は取れなかった。ただ、老人だからあまり進行はしないそうよ。大丈夫。長生きできるから」そう話すことにしました。医師にもそのようにお願いしました。

家族全員が同じことを言うので、母もそれを信じているようですが、自身の死について考えない日はないのでしょう。ある朝、母を起こしに行きましたら、瞑っている母の目端に真珠のような涙が丸まっており、「どうしたの?」と問いかけると、母親(私の祖母)が夢に現われたそうです。50年も前に亡くなった母親の夢をみて、真珠のような涙を浮かべている母。そのような夢で涙ぐむような人ではなかっただけに、忍び寄る死を、口には出さねど心のどこかで覚悟しているのではないかと思います。

   行く春や夢をつないで亡母(はは)に逢ふ

胸のつまるような思いをグッと押し殺して、「ばあちゃんに逢えてよかったわねぇ」と明るく話しかけますと、子供のような表情で、こくんとうなずきました。

一昨日、父と母が旅のアルバムを見て、思い出話をしていました。両親は日本中を隈なく旅しており、膨大なアルバムが残っているのです。58年連れ添った妻が不治の病に冒され、先立つことを覚悟している父のつらさを思いましたが、心根のやさしい父は、母に残された少ない時間をおだやかに過ごさせてやりたいと願っているのでしょう。仲良く、楽しそうに語らっていました。

今回、介護のケアマネージャーやヘルパーさん、訪問看護師さんからから口々に、「家族が全員、協力しあって介護されているお宅は珍しいです」と言われましたが、これは二人の義妹のお蔭だと思っています。彼女たちの協力がなければ、このような雰囲気は家族間に出来なかったことです。我が家は本当に良いお嫁さんたちに恵まれました。それは、ふふ子さんからも指摘されました。そして、母自身もそれをよく理解しているのです。「みんなに看てもらえて、自分は幸せ者」だと。母がそう思ってくれていることを、うれしく思いました。




プロフィール

れいらん

Author:れいらん
ご訪問ありがとうございます。

東洋占術歴40年になります。占い師とは「人を幸せに導く職業」だと思ってきました。同時に、多くの方のさまざまな悩み苦しみに接し、人ひとりが人生を生きく抜くことの困難さに思いを馳せずにはいられません。思えば私たちの人生はこころの旅であり、こころには喜びが必要です。こころがつらいとき、どんなに強い人でも自分を支えていくのは難しいことです。その苦しみからどうやって抜け出すか、私の占いが少しでもお役に立てれば幸いです。占いを通じて多くの方々の人生に接してきました。その喜びや哀しみに共感し、一喜一憂する日々はまた、私自身のこころの旅でもありました。

長きにわたり、ご紹介のお客さま限定の対面鑑定をしてまいりましたが、少しでも多くの方のお力になりたいと思い、このブログからの電話鑑定も受け付けることにいたしました。電話が苦手という方にはメール鑑定もご用意しておりますが、電話の方がよりニュアンスが伝わりやすいと存じます。

東洋占術にはそれぞれ得意とする分野があり、ご相談の内容によりもっとも適切な占術をこちらで判断の上、鑑定いたします。

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