2018. 07. 16  



猛暑が続いておりますが、この時期、ハッカ油(ミント)をお試しになったことがありますででしょうか。

ハッカは身体の余分な熱を取って、ストレスを緩和、気分をリフレッシュしてくれます。

スプレーボトルにお水を入れ、ハッカ油を数滴たらすだけ。

顔以外のところにスプレーすると、とっても爽やかです。

暑くてイライラしやすい方、ボーッとする方にはおススメ。

虫除けにもなります。

また、ミントのハーブティーも効果あり。

ミントの爽やかな香りは気の巡りを改善します。

スーパーでミントを見つけたら入手。

洗った葉っぱを急須に入れ、沸騰したお湯を注ぎます。

私は、このまま飲んだりしますが、冷めたら冷蔵庫で冷やしてもOK。こちらの方がポピュラーかな。

飲むときに、レモンやライムを入れると美味しいです。

甘さが欲しかったら、ガムシロップを。

気持ちもリフレッシュしますが、胸、喉のつかえ、お腹の張りや胃腸の不調、精神の安定、口臭予防などにも効果あり。

バテているときに、カフェインや砂糖で覚醒させる栄養ドリンクはNG。

動くエネルギーになっても回復効果はなく、むしろ覚醒作用は消耗を助長します。

バテを回復したい時は消化の良い、具だくさんの野菜スープや味噌汁の方が、はるかに回復を促してくれます。

今年は夏の到来が早まりましたが、こうした年は秋の訪れも早いものです。


きっと、きょこたんからご案内があると思っていましたが、7/23から「夏休み子ども科学電話相談」がNHKラジオ第一放送で始まる模様。

 夏休み子ども科学電話相談

ことに、7/31(火)は、ダイナソー小林、バード川上、亀愛小菅先生の夢の狂宴。ビジネスダイヤリーに書き込みましたー!!!

このメンバーが集結すると、ご自分への質問でなくても微妙に絡んできたり、他の先生の高度な専門性に「え?」とか、「へ~」とか素朴な声が洩れるところが、萌えポイント♡

そして、子どもと大人のガチンコ勝負、そこにはロマンがある。

恐竜ガチ勢、手ぐすね引いて、待っているんでしょうね。

大人の皆さんにもおススメ。

笑えます!


  くちびるにミントの香り熱帯夜


  


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2018. 07. 05  

ジョン・アトキンソン・グリムショー 「月を映す湖」


「チロリアン」は解決したが、昔々、青森市の柳町からは「アカネ~、アカネ~」という声も流れていた。あれは何だったのか?

20代のころ、青森市出身の方が上司になったことがあり、アカネ問題をぶつけてみたところ、上司はニヤニヤして、

「昔、青森にアカネというキャバレーがあった」と、のたまった。

同じ疑問を父上にもぶつけたら、やっぱりニヤニヤして、

「アカネは、キャバレーなんだよ」と。

武士の情けで深追いはしなかったが、上司も父上もあのニヤニヤは、

アカネで乙姫さまたちとたわむれ、鯛やひらめの舞踊り、竜宮城ごっこを懐かしむニヤニヤではなかったかと、今も思っている。昔日(せきじつ)のアカネ、オ~、トレビア~ン!ってか。

このアカネ問題には、後日談もある。

ひところ私は、実家へ帰るとき深夜バスを使い、朝、青森へ到着したら、そのまま「青森まちなか温泉」へ直行する、何故かこのパターンに入れあげていた。

その「青森まちなか温泉」の洗い場で、隣にいらした年配の、されど若いころはさぞや美人さんだったろう、女性から、いきなり話しかけられた。青森では、ごく普通の風景。

この女性は、私の背中を流してくださり、返す手で私も女性の背中を流した。

おだやかで気さくな感じ、聞けば昭和17年生まれ、午の四緑さん、なるほどと思った。

独り身で、気楽に暮らしていると。

子どもがいないのはちょっと淋しいけれどと仰るので、いやいや持たぬ子には泣かされぬって言いますよ、私も子どもいないの、なんて語り合っていたら、いきなり、

「わたしさ、昔、アカネで働いていたの」

アカネ、キターーー!

いい時代だったと。

高度成長期の日本、青森とて景気は良かったに違いない。

ドレスの胸元に、お客さんが折った千円札をすべり込ませてくれる。

父親は戦死して、戦争未亡人の母親と二人暮らしの家へ戻り、ドレスを脱ぐと、畳の上にチップの千円札がバラバラ落ちたと。あの頃の千円札は価値があった。

それをご母堂が「お前は持っていれば全部使ってしまうから」と、貯金しておいてくれた。

そのチップで土地買って、アパート建てた、二棟も!

大正生まれのご母堂、たいしたものでございます。

国民年金とアパートの上がりで食べていけるけれど、遊んでいられない性分で、週に二回、やまがみの焼き鳥屋で働いているの。あんた、今度、やまがみに遊びに来て。また、話したいの~。

まだ、やまがみで働いていらっしゃるだろうか。

以上、アカネ顛末記でした。

今日は川崎競馬で重賞レース「スパーキングレディーカップ(JpnⅢ)牝馬オープン」がある。

そこに、せがれの隼人が出る!

応援に行きたいが、それは許されない木曜日。。。

隼人、行けーーー!

かあちゃんが川崎へ念力飛ばすから、大丈夫だ!


 ◎ リエノテソーロ 吉田隼人

 ○ ラーゴブルー 吉原寛人

 ▲ ブランシェクール 御神本訓史

 ☆ ラビットラン 川田将雅

 △ オウケンビリーヴ C.ルメール

 △ ワンミリオンス 福永祐一



  還らざる連絡船の霧笛かな



霧笛(秋)




2018. 06. 30  

モナコ公妃となったハリウッド女優、グレース・ケリーに捧げられた薔薇「プリンセス・ドゥ・モナコ」 


梅雨が明けた…だと!?

北国生まれのマシュマロぽちゃ子には、もっとも厳しい季節(;´Д`)

今年は陰陽遁の境い目が早かったので、季節が前倒しで来ていることは植物のそれで感じてはいましたが…

1年でいちばん暑いのは、本来、もっとも太陽が高い夏至の頃、されど日本では梅雨のお蔭で、暑さが手加減されているわけで…

いやはや、この時期から太陽さんに張り切られると、夏の土用の頃はどうなってしまうんでしょ、震える。

昨日はおでこに冷えぴた、保冷財をぼんのくぼに貼り付けて、扇風機で頑張ったけど、マゾかしら、自分。

今日は「夏越の祓」です。神社で茅の輪くぐりを行い、年が明けてから半年間の罪や穢れを落とす行事。お時間のある方は、お近くの神社へお出かけください。

 夏越の祓


南米へ単身赴任されていたお父さんから伺ったお話。

あまりにも素敵なので、文章にしてみました。


抱き上げて肩車をした子の意外な軽さに虚をつかれた。

まだまだこんなに軽かったのかと愛しさが募った。

身体も命も預けきっている子のいとけなさに胸をつかれ、しみじみ愛しいと思う。

大きくなぁれ、ほ~ら、お月さんにあげちゃうぞ、肩に担いでおおげさに揺すぶって、道化てみせる。

もう少し伸ばせばひょいと乗せられそうな手近な位置に月が見える。

月は宇宙のかなたにあるのではなく、すぐそこに親しげに在る。

怖がりもせず泣きもしないのは月が近くにあるからだ。

子は肩車に喜び、戯れの言葉に大喜びする。

無意識の絆に気づいて胸を熱くするのは大人の側であった。

子どもの明るい笑い声。

子どもを喜ばせようとしてした肩車は、肩車をした方をもっともっと喜ばせるのだった。


  肩車父子の空に月涼し






2018. 06. 27  

Vincent Willem van Gogh 「夜の白い家」 パリ郊外オーヴェル エルミタージュ美術館


ファン・ゴッホは、麦畑で心臓に向けてピストルを撃つ。

弾は助骨にあたり心臓をそれてしまった。

怪我を負ったが麦畑から宿屋まで歩いて帰る。

オーヴェルの同じ道を同じ季節に歩いたことがある。

光がきれいで花が咲きこぼれ、道のりは遠かった。

光と花と意志の強さを感じた。

私は彼とこの道をゆく。

光と花と生と死の道を。


ファン・ゴッホは自殺を図ったとするのが定説だが、現場を目撃した者がいないこと、自らを撃ったにしては銃創や弾の入射角が不自然な位置にあることから、異説もある。

2011年にファン・ゴッホの伝記を刊行したスティーヴン・ネイフとグレゴリー・スミスは、彼と一緒にいた少年たちが持っていた銃が暴発し、ファン・ゴッホを誤射してしまったが、少年たちをかばうために自殺に見せかけたとする説を唱えた。

1890年7月29日死去 享年37歳

昨夜、お客さまからゴッホの話題が出て、にわかにオーヴェルの光の道を思い出した次第。


  戻り来て夏の光をふり払ふ




追記

鑑定中にゴッホの話題をさらりと投げ込んでくださる素敵なお客さま。

私はお客さまに恵まれていると、しみじみ思うのは、いつものこと。

宝塚記念の前々日にお話したお客さまは神戸の方で、今日の阪急電車は「宝塚記念」一色でした、とか教えてくださる。

笠松のお客さまは、その昔オグリキャップのお蔭で、笠松の給食費はタダだったとか、教えてくださる。

オグリキャップは笠松の怪物で、中央競馬からハンティングされた名馬。

その前日に、千葉市の花見川区で育ったお客さまからもオグリの話題が出ていました。

小学生の頃、オグリキャップが大好きで、お父さまに中山競馬場へ連れてってほしいと懇願。

お父さまは「競馬場へは4時には行かないといけない。あともう一つ、ジャージ着ていかなきゃならん」とアドバイス。

父娘はジャージ着て、4時に中山へ行くのだが…ジャージ姿は父娘のみ、4時の必要もなかったと(笑)

みんなみんな、いいお話ばかりで、ありがとうございます。感謝。



2018. 06. 26  



銀行のATMに猫じゃらしを置き忘れた2歳くらいの男の子。

ATMの長蛇の列の後ろで、

「葉っぱああああ」

と大泣きしてるのを、お母さんがなだめていた。

その泣き声に気づいたATM操作中のお姉さんが、すかさず猫じゃらしをとって後ろの人へ、バケツリレーのごとく列に回し、男の子のところまで届けたのを見て、ほっこりした。

足利義政と東山文化について調べたいことがあって、ドナルド・キーン博士の著書など数冊に目を通す。

その過程で、今回の目的とは違うが、61歳の今日まで不思議に思っていたことが、ひとつ氷解。うれしさを覚える。

それは銀閣寺。

金閣寺が「金」なのは分かるとして、銀閣寺はなぜ「銀」なのか、という一点。

正式には、慈照寺。

金閣寺に対して、銀閣寺と呼ばれる。

金閣寺を造営した足利義満の孫、第八代将軍足利義政が造営。

京の都を焼き尽くした応仁の乱の責任も持ち、政から逃げるように隠遁生活をおくった義政。

そんな義政が義満に対抗するように造営した銀閣寺。

 くやしくぞ過ぎしうき世を今日ぞ思ふ心くまなき月をながめて  

義政の心中思いやられるも、施政者として如何に評価すべきだろうか。

応仁の乱を無策のうちに長引かせた無能の将軍として悪名高き存在であるが、文化史上においては輝かしい足跡を残している。

能、茶、建築、造園、連歌と、義政の文化人としての審美眼は傑出しており、日本史上最も優れた東山文化を創造した功績はやはり大きい。

ことに慈照寺銀閣、東求堂同仁斎を残したことは義政の名を永遠のものとした。





創建当時から残っているのは、銀閣寺の象徴である観音堂と東求堂。

優美な空間が広がる。

されど、これを造営した頃は、応仁の乱や飢饉で疲弊した時代だった。

実際に造営にたずさわったのは、名もなき民衆。

創建当時「銀閣」の二層部分には、内も外も黒漆が塗られ、鏡のように光っていたという。

中秋の名月は丁度、この銀閣の真上を通る。

月光が外壁を照らし、内部に射し込み床や壁に反射する。

その瞬間、銀閣は銀色に輝くのであった。

ゆえに銀閣寺。

街中の悲惨とはまったく別世界の幽玄。





  あかあかと東京湾に夏の月





プロフィール

れいらん

Author:れいらん
ご訪問ありがとうございます。

東洋占術歴40年になります。占い師とは「人を幸せに導く職業」だと思ってきました。同時に、多くの方のさまざまな悩み苦しみに接し、人ひとりが人生を生きく抜くことの困難さに思いを馳せずにはいられません。思えば私たちの人生はこころの旅であり、こころには喜びが必要です。こころがつらいとき、どんなに強い人でも自分を支えていくのは難しいことです。その苦しみからどうやって抜け出すか、私の占いが少しでもお役に立てれば幸いです。占いを通じて多くの方々の人生に接してきました。その喜びや哀しみに共感し、一喜一憂する日々はまた、私自身のこころの旅でもありました。

長きにわたり、ご紹介のお客さま限定の対面鑑定をしてまいりましたが、少しでも多くの方のお力になりたいと思い、このブログからの電話鑑定も受け付けることにいたしました。電話が苦手という方にはメール鑑定もご用意しておりますが、電話の方がよりニュアンスが伝わりやすいと存じます。

東洋占術にはそれぞれ得意とする分野があり、ご相談の内容によりもっとも適切な占術をこちらで判断の上、鑑定いたします。

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